第2.2節 Scrapboxの概要
Scrapboxとは何か。一言で言えば「オンライン共有ノート」である。「オンライン」、「共有」が注目されがちだが、秀逸なのはその「ノート」。法律文書で必須の階層構造を容易に記述、表現できるのだ。だから起案環境、起案教育システムとして優れているのである。それをオンラインで共有できることによって付加価値が増す。2018年2月現在、利用料は無料である〈注7〉。
ユーザインターフェイスの研究者で慶應義塾大学環境情報学部の増井俊之教授が開発した「Gyazz」〈注8〉を基礎として大きく改良を加え、2016年11月にNota Inc.がwebサービスとしてリリースしたのが「Scrapbox」である〈注10〉。情報を階層化せずフラットに扱うことを目的とし、無限のスケーラビリティを備えた現代版のwikiシステムだ。サービス提供開始後も日夜開発が続けられており、日々、Nota社のエンジニアたちによって機能の改良や新機能の実装が続いている。 用法、記法はいたってシンプル。ページを開いて上部中央の「+」を押して開かれる新しいページに文章などを書く。「+」の右にある枠で検索できる。文章を書く時にキーワード的な文字列を[ と]とで囲む(square bracketsで囲む)ことによってその文字列を連結点としてページ間がリンクされて繋がる。その連鎖によって無限のコーパスが構築される。一般のwebサイトのようにリンク先(そのページからリンクした別ページ)が見えるだけでなく、そのさらにもう一つ先(2ホップ先)のページ、そしてリンク元(そのページにリンクしている別ページ)も一覧される(逆リンク)のが革新的である。また文字の装飾などもすべてこのsquare bracketsを使う。
トップページには各ページがそこに含まれる代表画像を伴ってカード状に表示される。また各ページの下部にも、そのページに関連するページが同様にカード状に並ぶ。その表示順序は、「Date modified」、「Date created」、「Date last visited」、「Trending」、「Most popular」、「Most linked」、「Title」から選択できる。初期値は「Date modified」であり、最近編集されたページほどカードが上に表示されるから、情報の鮮度が可視化されるのだ。さらに各ページの中に書かれた文章や画像といった情報は、段落ごとに編集日時が記録され、ページ左端にある「テロメア」と呼ばれるグレイ色の垂直線にマウスオーバーすることによってその段落の最終編集日時を確認できる。テロメアの幅はその段落が古くなるほど細くなっていくため、情報の鮮度が一目瞭然。初見(未読)の段落のテロメアにはグリーンの色がつく。
一人のユーザが個人で使うことも、複数メンバーのグループで使うこともでき、いずれの場合もプロジェクトごとにPublic Project〈注11〉(公開)とPrivate Project〈注12〉(非公開)を選択して設定する。その用途は多岐にわたる。個人が非公開で自分の研究、資料といった知識体系を整理するナレッジベースとする用途。個人が公開で判例データベースを作成したり、論文集を公開するといった用途。
例えば白石忠志教授は「競争法など」というScrapboxプロジェクトに競争法関係の事案、審決など各種の情報を公開しているし、遠山勉弁理士は「4IP-Law 知的財産法条文ネットワーク」で産業財産法の逐条解説などのデータベースを構築して公開している。筆者自身は2004年から継続してIT等に関する情報を公開している「shiology」の約5,000記事をScrapboxに読み込んで継承したほか、50以上のScrapboxプロジェクトを公開、非公開で使っている。 また複数メンバーで利用すれば、内容の充実が加速する。グループ、チーム、職場、あるいは家族などの情報を非公開で共有したり、情報公開に使えば、組織内外のコミュニケイションが円滑化する。従来のさまざまなデータベースシステムやブログシステムと比べて、はるかに容易に作成、公開できるから、特にITに通じていない一般人でも短時間で理解してコーパスを構築できるメリットは大きい。
Scrapboxの利用環境はGoogle Chrome、Firefox、Safariといったwebブラウザが開ければなんでもよい。Mac、iPhone、iPad、Windows PC、Android端末など、身近かつ一般的な環境で利用可能だ。専用アプリのインストールは不要である。教育現場においても学生がすでに所有している端末を使うから、新たにハードウェアやソフトウェアを購入するといった負担を強いることなく、授業でもゼミでもすぐに使い始めることができる。ただし、起案などに本格的に使い始めると、早晩、携帯端末よりもMacやWindows PCの方が効率的に使えることがわかってきて、学生たちがそういったハードウェアを購入する強いインセンティブになることを付言しておく。
webブラウザで開いたScrapboxのページに直接文章を書けば、同時に自動でクラウドに保存される。「保存」操作は不要。情報がすべて1ヶ所にあるから、どの端末からでもScrapboxを開けば確実に必要な情報を見つけられる。ゼミ論文終盤の1月になってゼミ学生が電車内でMacを盗まれたのだが、論文自体はScrapbox(クラウド)にあるから失うことなく、スマホと古いPCによって執筆を継続できた。2週間ほど後に警察から連絡があってそのMacはほぼ無傷で学生の手元に戻ったが、データはすべて消去されていたから、もし端末にファイルを置く方式で執筆していたら痛手は大きかったに違いない。その学生はクラウドの意義を実感していた。
複数人で使っているScrapboxプロジェクトの場合、メンバーが書く文章は、そのページを開いている他のメンバーの画面に同時に現れる。書き進むごとに、他のメンバーの画面にもその文字列が書かれ進む。複数のメンバーが同じページに同時に書き込めるから、ひとりの文章に他のメンバーが即時にコメントできる。これをゼミで行うと、あたかもゼミの議論が画面上でなされるが如く、文字による会話によってゼミが進行するのだ。グループで広大なホワイトボードに同時に書き込みながら思考や議論を進めていく様子に似ている。この「リアルタイム共同編集」がScrapboxの真骨頂である。
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7) クラウドで提供されている「クラウド版」のScrapboxシステムを使う限り無償で利用可能。企業や学校内にあるサーバにシステムを置いて使う「オンプレミス版」を必要とする場合はサポートも含めて有償で提供される。
8) 増井俊之「Gyazz - 柔軟で強力な万人のためのWikiシステム」第52回冬のプログラミングシンポジウム予稿集, pp.43-50. 情報処理学会, January 2011.
11) Anyone can read this project, but only members can write.
12) Only members can read and write this project.